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蜷川幸雄「KITCHEN」 [演劇]

若者達のイライラは普遍的です。
イライラって、自我(エゴ)と外界によって作られる自己(セルフ)の不一致で例えられたりします。
理想(夢)と現実といってもいいかもしれません。

蜷川幸雄演出の「KITCHEN」を見て、
そんな若者達のイライラの時代による変化を考えてみました。

1957年のアーノルド・ウェスカーの戯曲「KITCHEN」では、
33人の登場人物達の間に、
雇い主と労働者の関係だけでなく、民族、人種、階級、経歴、性別などによる
さまざまな差による現実的な壁が立ちはだかっています。
そんな壁によって自己が決められ、
それが登場人物達の(社会的に決定された)個性にもなっています。

そんな状況下で、若者達はといえば、
自分の周りに立ちはだかる壁の中で、
自らの現実を痛いほど知らされたうえで、
小さいながらも確固たる夢を語ります。
そして、現実的な壁にイライラします。

1975年のマイケル・ベネットのミュージカル「コーラスライン」では、
ミュージカルに出ることを夢みて、最終選考に残った17人の若者が、
1本のラインに並んだ時、演出家ザックに問いかけられます。
「履歴書に書いてないことを話してもらおう。君たちがどんな人間なのか」

現実的な壁も低くなり、
若者達もミュージカルに出るという大きな夢を手に入れようとしています。
しかし、自分の周りに立ちはだかる壁が低くなったことにより、
社会的に強固に決定された自己(セルフ)もあいまいになりました。
その結果、夢の前提となる自我(エゴ)もあいまいになり、
若者達は演出家ザックに問いかけられ、ふと立ち止まります。
そして、自分の経歴や境遇について語りはじめます。
あるものは、自分がよく分からずイライラします。

そして現在は、、、
現実的な壁も相当低くなりつつあります。
ほんとは壁があっても、立ち向かうことなく回避すること、
見ないようにすることも可能だったりします。

若者達は、外界によって決まる自己を巧みに回避しながら、
膨張し続ける自我を抑えられなくなっているように見えます。
時に暴力的な方向に、そして、、、
(例えば村上龍さんの小説にこんな若者が描かれているように感じます)
若者達は膨張する自我を押さえきれずにイライラします。

若者達のイライラも変化してきているようです。
今回の舞台、壁の中でもがいた蜷川幸雄オヤジからのメッセージと受け取りました。
(ぼくも、まだまだ若者のつもりです、、、)

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「KITCHEN」 @Bunkamuraシアターコクーン
2005 4/5-24
作:アーノルド・ウェスカー 演出:蜷川幸雄 訳:小田島雄志 
出演:成宮寛貴、勝地涼、高橋洋、須賀貴匡、長谷川博己、杉田かおる、品川徹、大石継太、
鴻上尚史、津嘉山正種 ほか

Bunkamura http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/#
劇団四季「コーラスライン」 http://www.shiki.gr.jp/applause/chorusline/index.html


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