ホンマタカシ「ニュー・ドキュメンタリー」展 @東京オペラシティ アートギャラリー [写真]
ホンマタカシさんの本「たのしい写真 よい子のための写真教室」を
とても気に入っています。
”photographのことを日本語で
<真を写す=写真>と訳すと、
知っていますか?”
という質問からこの本ははじまります。
photographの語源には真実という意味は含まれていないにもかかわらず、
日本語訳には真実という意味が追加されました。
それだけ、photographは真実=リアルと密接に結びついた表現といえます。
この本の第1章では私家版・写真の歴史と称して
「決定的瞬間」、「ニュー・カラー」、「ポストモダン」という
写真の歴史の3つの大きな山に絞って独自に写真の歴史を振り返っています。
写真の発明以降、当初は絵画の代替品であった写真は
報道写真のようなドキュメンタリーを経て
アンリ・カルティエ=ブレッソンの「決定的瞬間」に至ります。
基本的に非演出で偶然の一瞬を目指したこの時代の写真は
真実=リアルでありながら演出されたかのような非日常性を感じさせます。
(まるで現代のテレビやネットで流れる戦争の映像のように)
1970年代になって、
「決定的瞬間」とまったく違った写真の作法が登場します。
「ニューカラー」の代表的作家ウィイリアム・エグルストンは
アメリカ南部の何の変哲もない風景をカラー写真に収めました。
エグルストンら「ニューカラー」の作家達は
決定的瞬間を追い求めるのではなく、
持続する時間の中で世界を見つめ続けました。
決定的瞬間のない日常の風景は
ある意味ではより真実=リアルともいえます。
その後、「ポストモダン」の時代になり、
あえて演出(セットアップ)した作品や、
個人の私的な小さな物語を表現した作品が登場し、
さらにデジタル加工が可能となったり、アートとの接近もあったりし、
あらゆる境界線が曖昧になっていきます。
そして真実=リアルも曖昧になっていきます。
真実か嘘かわからないいかがわしさ。
この多義性は一方で自由さでもあります。
それが写真の楽しさだとホンマさんは言います。
”Photographは「写真」じゃない。
<真を写す>だけじゃない-”
これが、この本のキーワードです。
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ホンマタカシさんの「ニュー・ドキュメンタリー」展は
以上を踏まえてみるとより楽しめると思います。
タイトルとは異なり、
実は自分の子でない少女の成長を記録した
「Tokyo and My Daughter」シリーズ。
取り付けられたGPS発信器の情報に基づき
実際に野生のマウンテンライオンの通った場所で
その痕跡等を撮影した「Together」シリーズ。
知床の鹿狩りに随行し、狩りにまつわる場面を撮影しながら
いっこうに鹿の現れない「Trails」シリーズ。
などなど。
演出とリアル、表現と記録の間の曖昧さを通じて
改めて<写真>について考えさせられる展覧会です。
考えさせられるといっても、
これは難しいことじゃなくて”たのしい”ことです。
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ホンマタカシ「ニュー・ドキュメンタリー」展 @東京オペラシティ アートギャラリー
2011/4/9-6/26
http://www.operacity.jp/ag/exh129/
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