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用途不明なやきものの存在 [やきもの]

今年5月の笠間焼(茨城県)の陶器市の額賀章夫さんのテントで
皿などとともに買った写真のやきもの。
4cm角の立方体の形なんですが、
”何に使うの?”と聞かれても、”さぁ”と答えます。
不明なんです。

やきものって用途の呪縛が特に強いですね。
用途不明なやきものって存在が
なかなか受け入れてもらえないのですが、
用途の分からないものを部屋に置いておくっていうのも、
なかなかいいなと思い始めてます。

気になる存在というか、、、
ここちよい存在感というか、、、

街にオブジェが必要なように
家の中の小さなオブジェという感じでしょうか。

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たまには、お猪口に混ぜて飾ってみたり、、、

本当は何のためのものなのかなぁ。
聞かないほうがいいかも。

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額賀章夫さんのHP http://www.ne.jp/asahi/nukaga/akio/index.html

↓額賀章夫さんに関する過去の記事
http://blog.so-net.ne.jp/mckeee/2005-02-09-2


物語を紡ぐ 岡真理著「記憶/物語」と「ストーリーテラーズ」展 [文化]

記憶/物語

記憶/物語

  • 作者: 岡 真理
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2000/02
  • メディア: 単行本

悲しい出来事があったとき、
優しい言葉をかけてもらうのもうれしいけど、
一番癒されるのは、、、

同じ体験をした人と共に語り合うこと。

語り合うまでいかなくとも、
同じ体験をした人の言葉を読んだりするだけでも。

あるいは、
たとえ同じ体験をしていなくても、
相手に自分の思いを理解し共感してもらえるということ。

そんな感じがします。

これって、
悲しい「出来事」の記憶を分有(共有)し合う
ってことなんですね。

記憶を誰かと分有するってことが大事です。

では「出来事」の記憶を分有できない人は、
どうすればいいんでしょうか?

大きな話で言えば、
9・11の体験は世界中の人が分有する「出来事」です。
でも、世界には分有していない「出来事」がもっともっと多くあるようだし、、、
さらに、小さな話で言えば、
個人的な体験・思いは、、、どう分有していけば、、、

岡真理さんの本「記憶/物語」は、
そんなことを考えさせられる本です。

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「出来事」の記憶を分有(共有)し合うには、
その体験を物語ることが重要です。
そして、いかに物語るか?ということ。

森美術館で開催されていた「ストーリーテラーズ」展には、
いかに物語るか?の答えとして、
アート、写真、映像を手段とした
記憶の分有を巡る物語がいくつか展示されていました。

写真や映像のような手段を用いた作品を観ていると、
懐かしさや潜在的な恐れのような
断片的な記憶が自然と呼び起こされて、、、
作者の物語の世界に引き込まれます。

写真や映像は”「出来事」の記憶の分有”にはやはり強力だなと思います。
9・11の体験も、結局テレビの映像による記憶の分有です。

まぁ、強力であるってことは、
それだけ怖いってことでもあるんですが、、、

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共有し得ない「出来事」を物語ることの困難さも問題ですが、
いざ語られた物語にもいろいろな問題があります。
「出来事」は「物語」になった瞬間からどんどん「現実」と離れていきます。

「ストーリーテラーズ」展では、
"共有し得ない「出来事」を物語ることの困難さ" 以外にも、
"「出来事」が物語化する中で削ぎ落とされてしまう私の「現実」について"
"ステレオタイプ化した物語(神話)への批判"
"映像によっていかようにも作れる物語の怖さ"など
深読みしていけばいかようにも解釈可能な作品が多くあり、
「物語」を巡る思考を楽しめました。

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「ストーリーテラーズ -アートが紡ぐ物語-」 @森美術館
2005 3/29-6/19


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